考えれば考えるほど訳のわからない話だった。
 こうして彼が生きている以上、自分の見たものは夢か幻に過ぎなかったということになる。
胸にあんな大きな風穴を空けられて生きていられるわけがないからだ。万に一つまだ息があったとして、何事も無かったかのように平然と起き上がって悠々と
階段を上がってくるなんてことが出来るわけがない。
そんなことが出来るとしたら彼はゾンビか? 吸血鬼か? 地球侵略を企む悪の異星人か何かか? 馬鹿馬鹿しい。
当然のことながら、翌朝のニュースや新聞に殺人事件はおろか死体があがったなんていう情報も無かった。やはり自分の見間違いなのだ。
そう思い、朝食の席でゆかりはほっと胸を撫で下ろしたものである。
 だが、あの凄惨な光景はゆかりの脳裏に焼き付いて離れなかった。それは理屈ではない、感情の問題だ。
だからゆかりは坂井悠二……「彼」を観察することにした。あれが単なる自分の疲れから見た夢であり、悠二が何も変わっていないことを確かめて安心したくて。
 結論から言って、彼女の試みは失敗した。少なくとも、安心するという意味では。以前と違うところばかりが目に付くのだ。
口数が少なくなった。表情に乏しくなった。池や佐藤、田中といった友人達とそれとなく距離を置いているように見える。

『あいつ、最近微妙に付き合い悪いんだよな』

 観察を始めて一週間目の放課後、彼と特に親交の深い池が帰り掛けにそう零した一言が、ゆかりの心情を更に不安定なものにした。
 そしてゆかりは彼を観察するのを止めた。違う違うと言ったって、自分が悠二と知り合ってまだ一月も経っていないではないか。
新しい環境に慣れて地が出て来ただけかもしれない。そうでなくとも自分の預かり知らない理由で心境の変化があっただけかもしれない。
いずれにせよ、彼がゾンビだの吸血鬼だの宇宙人だのといったオカルトやSF染みた妄想よりはそちらの方が余程説得力がある。
これ以上続けても精神衛生上の悪影響が出るだけだ。ゆかりは自分の中でそう理屈を付けたが、実際のところ怖くなっただけだった。
それは本人が一番良く分かっていることでもある。

 「そういう訳だからさ、全然大丈夫。夢見のせいで寝不足気味で、ちょっと調子が悪いかもしれないけど」

 あのことは忘れよう。明日坂井君にもう一度ちゃんと謝って、それで全部忘れてしまおう。
 そんな内心を隠しながら、ゆかりは笑顔を作ることで心配しなくてもいいとアピールした。

「そう、なの?」
「そうなの」

 吉田はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、それで一応納得はしてくれたようだった。 

「気を付けてね。最近季節外れの風邪が流行ってるみたいだから」
「ああ、中村さんも藤田さんもまだ休んでるもんね。もう一週間か……流石に心配だね」

 優しい幼馴染の声に若干の後ろめたさを感じながらゆかりが頷く。
 ゆかり達のクラスメイトである藤田晴美と中村公子は、両名とも先週から学校を休み続けていた。その二人だけでは無い。
他のクラスや学年にもちらほらと病欠する生徒がおり、しかも一様に病欠が長引いているのだ。余程性質の悪い風邪に違いないという噂が広まっていた。
ゆかりは一番長いので二週間以上病欠している生徒もいるという話を聞いたことがある。吉田の心配も最もなことだろう。

「……ねえ、やっぱり今日はもう帰らない? 別に急ぐ用事じゃないんだし、ゆかりちゃんに何かあったらそっちの方が大変だよ」

 だから、ゆかりはその言葉に反論しかけて止めた。体調のことはともかくとして、こんなもやもやした気分で散策も無いだろう。
付き合わされる方だって迷惑である。ここは素直に吉田の言うことに従って置いた方が良さそうだ。
これ以上余計な心配を掛けるのはゆかりとて本意では無い。

「……そうだね。その方がいいかも。何か、ごめんね。私の方から誘ったのに」
「ううん、気にしないで。また今度――」
「あ、お姉ちゃん!」

 二人の会話に、幼い声が割り込んだ。
 





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