キタローさんの眠る部屋のドアを、いつも通り控えめに二回ノックします。

「キタローさん、朝ですよ。起きていますか?」

 しばらく待っても返事がありません。これもいつも通りのこと。
 ねぼすけなキタローさんは、私が起こさないといつまでも眠ったままなんです。全く困ったヒトですね。
私はドアを開けて部屋の中に入りました。やっぱり、まだ寝てます。
その寝顔は天使のように愛らしく、このままずっと見ていたい気持ちにさせるものでしたが、そういうわけにもいきません。
私はカーテンに手を掛け、一気に開けました。
 シャッという小気味よい音と共に飛び込んできたのは、眩しい朝日。今日もよい天気です。
 窓から差し込んできた光を受け、キタローさんが身じろぎします。
ようやく起きるのかな、と思ったら、光を避けるようにお布団を深く被り直すキタローさん。もう、往生際が悪いですよ。
そんなところも可愛いですが。

「ほら、キタローさん。朝ですよ。会社に遅刻してしまいます」
「……どうでもいい。後五分だけ寝かせて」

 キタローさんは低血圧。寝起きの悪さは筋金入りです。寝起きはちょっと不機嫌なのも仕方ありません。
 しかし、ここで諦めるわけにはいかないのです。

「ダメです。五分前行動が基本ですよ。さあ、起きて下さい」
 
 ゆさゆさ。ゆさゆさ。お布団に手を掛け、結構強めに揺らします。

「ん〜……」

 渋々、といった感じでようやくキタローさんがお布団を抜け出してくれました。
 キタローさんは冬眠から覚めた小動物のような仕草で瞼をごしごしとこすると、焦点の定まっていない眼のまま「着替えは?」と尋ねてきました。私はそんなキタローさんに「どうぞ」と言って持ってきた着替えを渡すと、早々に部屋を後にしました。
ぼやぼやしていると私の目の前で着替え始めるから困ります。……別に着替えを手伝いたいなあ、なんて思っていませんよ?本当に。
確かにふらふら危なっかしいし、この前なんか箪笥に頭をぶつけていましたが。

 洗面所でキタローさんが顔を洗う音を聞きながら、私は朝食の準備にとりかかります。
 キタローさんが選んでくれたエプロンを身に着けると、冷蔵庫の中から卵を取り出し、割って、熱したフライパンの上に落としました。
味付けに軽く塩胡椒を振って、蓋をします。余熱で焼き上がるまでの時間も無駄にしません。
レタスを千切り、キュウリを斜め切りにして簡単なサラダを作ります。
彩りをよくするためにプチトマトを添えたところで、トースターがチンと音を立てました。目玉焼きもそろそろ焼ける頃です。
私はお皿に目玉焼きを盛り付けると、キッチンに入ってきたキタローさんのためにコーヒーメーカーでコーヒーを淹れました。

「おはようございます。キタローさん」
「ああ、おはよう」

 キタローさんはまだ少し眠そうでしたが、顔を洗ったことでだいぶ意識がはっきりしたようでした。お皿をテーブルに並べます。
 キタローさんが座った後で、私も真向かいに座りました。二人揃って手を合わせ、「いただきます」をします。
 「いただきます」とは感謝の言葉だと、いつだったかキタローさんが教えてくれました。
命を提供してくれた生き物達や、それらを育ててくれた人、食事をつくってくれた人に「ありがとう」の気持ちを表す言葉だと。
それなら、私も「ありがとう」と言わなければなりません。キタローさんを生んでくれた世界に。特別課外活動部の、あの懐かしい仲間達に。
私といることを選んでくれたキタローさんに。

「アイギスは料理が上手くなったな。最初の頃なんかスゴかったのに」
「キタローさんのために、練習しましたから」

 私がそういうと、キタローさんは照れたように笑いました。それを見た私の「心」も温かくなります。


 出勤の時間が迫ってきました。キタローさんのネクタイを結ぶのは、もちろん私の役目。あの頃から少し背が伸びたキタローさんの首にネクタイを掛け、結ぶ段階になってふとキタローさんの顔を見上げると、僅かに顔が赤いのです。
体調不良でしょうか? もしそうだとしたら会社に連絡をとって休ませてくれるようお願いしなければ。
そう思って私は体調が悪いのですか、と尋ねました。

「……いや、何時までたっても慣れないなって思ってさ」

 ああ、キタローさんは私を嬉しくさせる天才です。一瞬、ネクタイの結び方を忘れてしまったではないですか。


 玄関のドアを開けるキタローさんに、私は「いってらっしゃい」と声を掛けます。「いってきます」という返事の後、パタンと閉じられるドア。
 家の中は私一人。でも、気は抜けません。キタローさんのいない家を守るのは私の役目。
さあ、今日も張り切っていきましょう。今日もまた、新しい一日が始まります。























「というのはどうでしょう」
「いや、どうでしょうとか言われても」

 長々と続いたアイギスの希望する進路――というかむしろ願望の話が終わり、キタローはひきつった笑みを浮かべた。
 ニュクスとの決戦を間近に控えた状態で行われた進路相談。
ふと、アイギスが何と答えたのか気になって、コーヒーを淹れてきてくれた彼女に尋ねたのが一時間前。
それから聞かされた胸焼けするような甘々新婚ライフ。反応に困る。相手が美少女ロボットでも、やっぱり困る。
ラボで修理された時何か変な回路でも搭載されたんじゃないだろうか。乙女チック回路とか、何かそういうの。
キタローはそんなことを考えた。
 
「……この話、鳥海先生にしたの?」
「はい」
「先生何て言ってた?」
「『真面目に答えなさい』と怒られてしまいました。何がいけなかったのでしょう?」

 真面目に答えたのですが、と首を傾げるアイギス。そりゃ怒られるよ、と突っ込む気力もなく、キタローは頭を抱えた。
 進路相談で延々と冒頭の甘々新婚ライフを聞かされた鳥海先生。普通の感覚の持ち主だったら怒るのは当然だ。
これは明日辺り呼び出しをくらうかもしれない。自分が変わった理由を「出会い」だと答えたことが懐かしかった。
 先生になんて説明しよう――そんなことを考えていた彼に、アイギスはベッドから立ち上がるとずいっと顔を近づけた。

「……それで、了承して頂けるのでしょうか?」
「え?」
「私一人でこの希望を叶えるのは不可能です。是非ともご協力を」

 アイギスは相当な美少女ロボットである。屋久島で初めて彼女を見た時はその可憐な容姿に思わず目を奪われた。
 声を掛けた時はどんな女の子に話し掛けるよりも緊張した。その彼女の顔が、目の前にある。
吸い込まれそうな青い瞳。艶のある唇。口調は冷静を装っていても、うっすらと赤らんだ頬。
男として生まれてときめかない者などいないと断言できるくらい、今の彼女は魅力的だった。
 やばい。可愛い。後先考えず頷いてしまいそうだ。
 雰囲気に押し流されつつあるのを自覚しながら、キタローは椅子に座ったまま後退した。
無論、背後には机があるのでほとんど意味を成さない。あっという間に追い詰められてしまった。
帰ってきてから本当性格変わったなあ、なんてことを現実逃避気味に考えた。

「いや、でも、急にそんなこと言われても」
「一緒にいてくれるって言いました。むしろ来て欲しい、とも」
「う……」
「あれは嘘だったのですか? その場限りのごまかしだったのですか? 私、凄く嬉しかったのに」

 終盤泣き虫な彼女がREVERSE。FESでのヒロイン補正でキタローの自制心がBROKEN。
 タロットでは在り得ない"永劫"のカードが頭上に輝き、下手すると長い夜を過ごしてかけがえのない絆を手に入れてしまいそうな気配。
いや、むしろ望むところ? 彼女の瞳はガード不能のテンタラフー。

「さあ、キタローさん……!」
「う、うわああ……!」





















「言質は取りました」

 キタローはかけがえのない絆を手に入れた!



あとがき

 アイギスのボケっぷりと純粋さが好きです。



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