こと恋愛に掛けてのハルナの嗅覚は恐るべきものがあります。のどかの気持ちをいち早く見抜いたのもハルナでした。
 漫画というシミュレーションを幾度も手掛ける中で身についた能力なのか、それはわかりませんが、とにかくその能力は本物です。
だから、いつかはきっとこうなることがわかっていました。彼女が気付かない訳がなかったのです。
その「いつか」がやってきた。ただ、それだけのこと。しかし……。






「ゆえ……あんた……ネギ君のこと好きなの?」





 その問いに、私は何と答えたらいいのでしょう?
 






 男嫌いどころか、男性恐怖症の気すらあるのどか。そんなのどかが恋をしたのは10歳の子供先生。正直最初は戸惑ったです。
 相手は私たちより5歳も年下の子供だったのですから。
ですが、首まで真っ赤にしながらネギ先生への好意を私たちに打ち明けてくれたのどかを見ていると考え直すよう言うのも気が引けて、私とハルナはとりあえず様子を見ることにしたのです。ネギ先生がのどかを任せるのに相応しい男性かどうか。
 ……ネギ先生は、思ったよりずっと素敵な人でした。
 私達と同じ年齢の男の子で、ネギ先生より魅力的な人物を探すのが困難を極めるほどに。
最初は可愛い子供先生としてしかネギ先生を見ていなかったクラスメート達も、瞬く間にその魅力に気付き始めました。
 真面目でひたむきで優しくて、どこか危なっかしくて。
 それでも生徒達には真正面から向き合って、何かトラブルがあった時は解決のために力を尽くしてくれる。
そんな先生が皆に好かれない訳がありません。本気でネギ先生に恋をする者、友達としての好意を寄せる者、保護者としての深い情を見せる者……形は違えども、結局私たちのクラスは皆ネギ先生のことが好きなのです。
でなければ学年末テストで最下位を脱出するためクラスで一丸になったりはしません。
私だって、大学部の先輩でもなかなか到達できない図書館島の深部に赴き、魔法の本を探してこようなんて思わなかったでしょう。
 今にして思えば、あの時から予感はしていたのかもしれません。
 ゴーレムから逃げる途中、木の根につまづいて転んでしまった私をおぶってくれようとしたネギ先生。
私たちを守るため重量オーバーで動かないエレベーターから自ら降りて、勝てるはずのない敵に立ち向かおうとしたネギ先生。
立派だ、と思いました。のどかが好きになるのもわかると、そう思いました。
 でも、自分がネギ先生のことをどう思うかについては考えませんでした。
 背負われたあの小さくても頼もしい背中のことを思うと、怖い結論に至りそうだったから。
それは、どう転んでものどかを傷つけることになってしまうとわかっていたから。

 なのに……。

 いつの頃からでしょう。ネギ先生と交わすなんでもない会話、日々のちょっとした触れ合い、その一つ一つが嬉しくて堪らなくて。
 胸が温かくなるようになったのは。初めは必死で否定しようとしました。
のどかのことを応援すると決めたのに、私がネギ先生のことを好きになってしまうなんて。
それは親友に対する裏切り以外のなにものでもありません。
 でも、でも……ネギ先生が私に微笑む度、あどけない瞳で私の顔を覗き込む度、檻に閉じ込めた心が叫ぶのです。
 私はネギ先生のことが好きだと。好きで好きでどうしようもないのだと。

 修学旅行二日目の夜、ネギ先生のニセモノにキスを迫られた時に、私は自分の本心がわかってしまいました。
 キスを迫られた時の私は、口ではネギ先生(のニセモノ)の不実な言動を非難しました。
しかし、モニターで目の前のそれがニセモノだとわかるまで、ニセモノを突き飛ばすこともしませんでした。
それくらいできたはずなのに。それでも認めてしまうのが怖かったから、ただ動揺しただけだと理由を付けてわからないふりをしたのです。
「どんな嘘の達人でも、自分自身は騙せない」------尊敬するおじいさまの言葉は、いつも私に力をくれる。
なのに、その時ばかりはおじいさまの言葉がかつてない重みを持って私にのしかかってくるようでした。


 そして、麻帆良祭前日。私とハルナはのどかとネギ先生をくっつけるべく作戦を練りました。
 ハルナの励ましに顔を赤くして照れるのどか。私はそんなのどかを見て微笑んでいました。
内心ではのどかに対し理不尽な苛立ちを感じていたというのに。
 告白してキスまでしたのに、修学旅行以来これといった進展のないのどかとネギ先生。
 こんなペースでやっていたら、後からやってきたライバル達に先を越されてしまうかもしれません。
私だってネギ先生のことを諦められないではないですか。気を抜くとそんなことを口走ってしまいそうでした。
私がこんなことを考えていたと知ったら、のどかはどう思うでしょうか?
 麻帆良祭一日目、のどかとネギ先生がデートに行くのを見届けてから私はその場を離れました。
 ハルナは二人のデートの様子が気になるらしく、後をついていきましたが、私はそんな気分にはなれなかったのです。
デートの様子を覗き見るなんて無粋だから。一応の理屈を付けて、私は学祭ジュース巡りでもしようとしました。
 がんばるですよ、のどか……。このデートでネギ先生をしっかり捕まえておくのです。今なら私はまだ大丈夫です。
 あなたの恋が成就すれば、私はきっと本心を隠したままでいられる。そうしたら皆でお祝いしましょう?
 あなた達はきっと付き合いはじめてからも奥手なままだから、そのことで悩みを抱えたら今まで通りハルナと一緒に相談に乗ってあげます。
三人でいる時間が減って、けどたまにはネギ先生を加えた四人で遊びに出かけたりして……そうしているうちに私もきっと「これでいい」と思えるようになります。それが皆にとって一番いいことなのですから……。
 そんなことを考えて歩いていると、私は前を歩く誰かにぶつかってしまいました。
 すみませんと謝ってから、私は目の前の人物を見て驚きました。
のどかと一緒に向こうに行ったはずのネギ先生が、そこに立っていたのです。

 喫茶店でタイムマシンという驚くべき超発明のことを聞かされ、ネギ先生が二人いた理由がわかりました。
 ニセモノをのどかにあてがったのではないかという失礼な疑いを持ってしまったことが恥ずかしいです。
一息ついたところで、私はネギ先生に一番気にかかっていたことを尋ねました。
すなわち、のどかとのデートはうまくいったのか、ということを。

「それがあの……途中でまた大変なことになっちゃって……」
「それはまあいつものことですから」
「楽しく回れたと……思います。のどかさんも……」

 ああ、よかった。照れながら私の質問に答えるネギ先生を見て、私は心からそう思いました。デートはうまくいったのです。
ネギ先生ものどかとのことは満更でもなさそうですし、これなら二人が恋人同士になるのもそう遠い日のことではないかもしれません。
私が本心を隠していられるうちに、そうなってくれればいい……。

「そうですか……それだけ聞ければ……満足です……」

 安堵と寂しさの気持ちを半々に込めて、私はそう言いました。

「何やネギ。そんなコトで悩んでたんかいな。女とデートなんてくだらん……弱いわ!」

 その時の小太郎さんの言葉が、何故だかカチンと来ました。ほとんど反射的に私は小太郎さんに言い返していました。
無関係なあなたが口を挟むな、強さ弱さと口に出してこだわっているうちはあなたが真に強いと言える日はこない、そして……

「『愛を知らぬ者が、本当の強さを手にすることは永遠にないだろう』恋愛をバカにしてはダメです」

 小太郎さんの言い分を圧倒的なボキャブラリの差で押し切り、気がついたら小太郎さんを完全に打ち負かしていました。
 逃げた小太郎さんを見てはっと我に返り、私は青くなってしまいました。
年下に対してべらべらと偉そうに語ったものの、やったことはネギ先生のご友人との子供染みた口喧嘩。何たる醜態でしょうか。
猛省しようと自分に誓うと、私はネギ先生に一礼して当初の予定通りジュース巡りに出発しようとしました。

「あのー、夕映さん。時間があったら……ちょっとだけ付き合ってもらえませんか?」
「え……」

 後ろから声を掛けられ、私は立ち止まりました。ネギ先生の言葉に思わず胸が高鳴りました。

 ……何故、そこで頷いてしまったのでしょう。断ればよかったのに……。



 私達は特に話もなく、学祭をフラフラと回りました。いや、多分ネギ先生の方は私に話したいことがあるのでしょう。
 先程から何か言いたそうにこちらを見て、口を開きかけては閉じる。そんなことを繰り返しているのですから。それに、元気もありません。
こちらから尋ねるべきなのでしょうが、きっかけがつかめません。気まずい沈黙。
のどかはあんなに話せているのに、私は先生と二人きりになると話題の一つも見つけられないのでしょうか。何か話題、話題は……。

「……あ! そうです。ネ、ネギ先生に見てもらいたいものがあったのです!」

 ネギ先生にもらった練習用の杖を取り出し、精神を集中させる。杖の周りに光の粒子が集まり出しました。

「プラクテビギ・ナル、アールデスカット!」

 呪文を唱えると杖は見事に発火。ネギ先生が驚きの声を上げました。

「な……スゴイじゃないですか夕映さん!」

 パチパチと拍手してくれるネギ先生。学祭中は世界樹の魔力が溢れているため、素人でも魔法が使いやすくなっているけれど、それでもスゴイと褒めてくれました。その後風の魔法を見てもらおうとしてちょっとしたアクシデントがありました。
でも、とにかく私の素人魔法はネギ先生を笑わせることには成功したのです。それだけでも毎日練習してきた甲斐がある。
思わずそんな考えが浮かんでくるほど嬉しかったのです。

「……夕映さん。夕映さんは今……誰か好きな人はいますか?」

 不意打ちの一言に、私は息が止まるほど驚きました。

「な、なに何の話ですか? 私は別にっ……」

 あたふたとみっともなく取り乱した私に、ネギ先生は戸惑いながら「い、いえのどかさんのことなんですが」と言いました。
 どういうことでしょう。のどかとのデートはうまくいったはずです。もしや何かまずいことでもあったのでしょうか。
私がそう尋ねるとネギ先生は否定しました。では、何が……そう思った私に、ネギ先生はぽつぽつと語り出しました。
のどかにもう一度告白されたこと。そして、今度は事故ではなくキスされたことを。

 一瞬、何かに貫かれたように胸が痛みました。

 おかしい。こんなはずはない。私はまだ大丈夫なはずです。のどかとネギ先生が恋人同士になることを願っていたはずです。
 なのに、どうしてこんなに胸が痛いのでしょう。これが皆にとって一番いいはずなのに。

「そ……そうですか……」
「で、でもあのっ……。この後のどかさんにどういう顔して会えばいいかわからなくなっちゃって。今度こそ返事しなきゃいけないと思うし……」

 続くネギ先生の言葉で私は我に返りました。どういう顔をして会えばいいかわからない? 今度こそ返事? 
 二人はまだそういう関係になってはいないのでしょうか? 

「え……ネギ先生のどかのことを好きではないのですか?」

 尋ねる言葉に期待が混じるのがわかりました。

「い、いえそんなことないですっ」

 手を振って即座に否定したネギ先生は、自分の気持ちを話してくれました。のどかと本の話をしたりするのはすごく楽しいこと。
 でも、女の人を好きになるのがどういうことがよくわからなくて、どうすればいいのかわからないこと。
話を聞いてみれば当たり前のことです。いかに天才で大人びて見えても、ネギ先生はまだ十歳。
五歳も年上の女の子に恋心を打ち明けられたらどうしていいかわからなくなるのが普通でしょう。
加えて、ネギ先生は周りに幼馴染とお姉さんくらいしか女の子がいないという幼年期を過ごしています。
その方面の対処能力ではむしろ同年代の小学生より劣っているのではないでしょうか。

 つまり、ネギ先生にはまだ好きな人はいない。
 クラスの皆のことを好きなのは確かでも、特別な一人というのはいない。

 その結論に達した時、私の胸に安堵感が広がりました。昼間の時とは違う安堵感が。

「そ、そういうことでしたら……先生と生徒という立場のこともありますし……。た……例えばのどかが卒業するまでは返事はし……しなくてもいいと思うですが」

 気持ちとは裏腹に口が動く。ダメです。ああ、でももう間に合わない。
 返事をしないのは相手に失礼ではないかという当然の疑問を持ったネギ先生を、のどかは返事がほしくて言ったわけではない、のどか自身は急いでなかったのに私やハルナがせかしてしまったのだというもっともらしい理屈で納得させました。
頭の片隅で違う違うと声がします。それなのに私の口はネギ先生を、そして何より自分を騙す言葉をひたすらに紡ぐ。
そして、とうとう言ってしまったのです。客観的に見て悪くない助言でありながら、自分の願望を適える卑怯な一言を。

「私は……先生は今までどおりでいいと思います。のどかもそのほうが嬉しいと思うですよ」

 ……ネギ先生は、私の助言に大いに励まされたようでした。私がどんな低劣で汚らしいことをしたのかも知らないで。

「今までどおりに……うーん、そうですよね。それが一番ですね、さすが夕映さん!」
「……え」

 違う。違うんです。それは、私が。

「実はすごく悩んでたので……ちょっとホッとしました!」
「あ……」

 掌から何かが零れ落ちていくような感覚が私を襲いました。
 ホッとしたらちょっとお手洗いに、そう言ってネギ先生が駆けていこうとします。私は、ネギ先生に何かを言おうとして……。

「ありがとうございます! 夕映さん」

 その、無邪気な笑顔。その笑顔を見た瞬間、何も言えなくなってしまいました。ネギ先生が去って、取り残されたのは私だけ。
 祭りの喧騒も耳に入らず、うるさいくらいの自分の心臓の鼓動だけがやけにはっきり感じ取れました。


 卑怯者。
 臆病者。
 何てことをしでかしたんです!



 今度こそ私は認めざるをえませんでした。私は、ネギ先生のことが好きだ。のどかがネギ先生のことが好きでも、止めようがないくらいに。
 私はほっとしたのです。ネギ先生とのどかの仲がこれ以上進展しないことが。ネギ先生が誰のものにもなっていないことが。
先生と生徒の立場やネギ先生の気持ちが定まっていないことを理由に現状維持を勧めたのは、二人のためではありませんでした。
もしかしたら自分にもまだチャンスがある。そんな気持ちが心のどこかにあったからあんな助言をしてしまったのです。
 一生懸命魔法の練習をしていたのは、ネギ先生に近付くため。
 魔法の練習という迂回路を通さなければ、好きな人にも近づけない臆病者が私。
 それらのことに気付いて私は愕然とし、次の瞬間には涙が溢れていました。
 自分の姑息さが情けなくて。親友を裏切ってしまったことが申し訳なくて。
カモさんがいてくれてよかった。そうでなかったら私はあのまま自己嫌悪で潰れてしまっていたでしょうから。

 早く、早く、私の手の届かないところに行って下さい、ネギ先生。でないと馬鹿な私は勘違いしてしまう。
 先生として私を気遣う言葉の中に、ほんの少しでも特別な気持ちがありはしないかという下らない考えに取り付かれてしまう。

 それなのに。のどか、あなたは残酷です。あなたは今日、私にネギ先生との仮契約を勧めましたね。
 仮契約の方法は、ネギ先生とのキス。のどかだってそれは承知のはずです。あなたに嫉妬心はないのでしょうか?
ネギ先生を独り占めにしたいという気持ちはないのでしょうか? 
 私は、私は、ネギ先生がデートの終わりにあなたとキスをしたという話を聞いただけで貫かれたように胸が痛かったのに。
 目の前でハルナがネギ先生の唇を奪った時は、怒りと嫉妬で頭の中が真っ白になったというのに!

 のどか、何をしているのです。ネギ先生を好きな女の子達は、あなたのように甘くないですよ?
 そんなのんびり構えていたら、ネギ先生を攫われてしまうです。私にそんな隙を見せないで下さい!

 仮契約を勧められたあの一瞬、あのほんの一瞬だけ、私の心にのどかに対する真っ黒な気持ちが湧き上がり、私の手が真っ白になるほど強く握り締められたことをのどかは知っているのでしょうか? 自分がどれほど残酷なことを言ったのか、のどかはわかっているのでしょうか?
 そんな風に考える自分が嫌で、また涙が溢れました。 

「そんな……ことは……」

 
 最早意味の無い否定の言葉。
 目の前のハルナがぼやけて見える。
 傾いた頭から帽子が落ちる。
 私は、それ以上何も言えずその場に立ち尽くしていました。






 近くの物陰で、同じようにのどかが立ち尽くしていることも知らないで。

 

 


あとがき

 恋と友情の狭間で揺れ動く夕映が好きです。



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