紫電の速さで剣が振られる。
 繰り出される槍が音速の壁を突き破る。
 逆巻く炎は戦場のあらゆるものを灰燼に帰し、吹き荒ぶ大嵐がそれを天空へと巻き上げていく。
 人知を越えた力のぶつかり合いは、その余波ですら圧倒的な暴力を持って世界を侵略する。
 力の激突によって地面が軋み、罅が入り、剥がされ始めた。大地が悲鳴を上げている。
最終戦争もかくやの如しと言わんばかりの地獄が顕現してから、早半日が経過していた。

「ドロー、ペルソナカード」

 その壮絶なる光景を作り出しているのは、二人の女性と彼女達が召喚する数々のペルソナだ。
 エリザベスは左手に抱えた辞書から一枚のカードを抜き出した。右手を水平に振る。
 彼女の身体から深紅の炎が噴き上がった。その炎の中から現れたのは白銀の鎧で身を固めた槍の騎士だ。
クー・フーリン。「クランの猛犬」という意味の名を持つ無双の槍使いは、両手でその槍を水平に掲げ持つ。
魔力を帯びた深緑色の暴嵐が巻き起こった。その様はまるで天を突く柱だ。
地上のいかなる強者とて、これを前にすればただ紙細工のように木っ端微塵にされることは必定。
その数が千であろうが万であろうが同じことだろう。例え地平線を埋め尽くすほどの軍勢を率いて来たところで、人がこの力に抗うことなど到底不可能な話だった。
 しかし、地を抉り、岩盤を砕く轟音を響かせながら進む破壊と暴力の権化が牙を向く相手は地を揺るがす大軍勢などではない。
 清楚な見た目の女性――エリザベスの姉、マーガレットただ一人だった。
 マーガレットは迫り来る暴嵐を眉一つ動かさずに見据えていた。
 彼女が手に持つのは、やはり辞書。立ち方一つとっても優雅さが漂うその姿は姉妹だけあってよく似ている。
だが、しかし。これはエリザベス自身よく理解していることではあったが――。

「受けなさい!」

 マーガレットの言葉と共に、エリザベスと同じ色の炎が噴き上がった。
 その炎の中から現れたのは、クー・フーリン。エリザベスが召喚したものと同じペルソナ。

 否、とエリザベスは瞬時に悟った。
 この程度で、マーガレットは愚かな妹を憐れんだ。
 
 生死を分かつ零と一の狭間。その狭間の中で、姉妹は何よりも深い交感を果たしたのだった。
 エリザベス。マーガレット。今は互いに道を違える身となりし二人なれど、その本質は同じ。
 
 ――戦いの中でしか答えを得られない二人。

 マーガレットのクー・フーリンが放った真空の刃が、嵐を「切り裂いた」。
 荒れ狂う暴嵐はたちまちの内に力を失い、霧散した。
嵐を切り裂いた真空の刃はそれでもまだ止まらない。その向こうのエリザベスへと向かう。
 エリザベスは咄嗟に右へ跳んだ。だが、避け切れない。エリザベスの左腕から鮮血が迸った。
 一枚のペルソナカードが彼女の手を離れ、明後日の方向に飛んで行った。
斬られた痛みを感じるより早く、エリザベスは先の勢いのまま、肩から地面に激突した。
エリザベスは常人ならその負荷で二度と足が使い物にならなくなるであろう大加速を果たしていたのだ。
そうしていなければ今頃彼女の身体は真っ二つに裂けていたことだろう。
 しかし、その代償は安くは無い。これで右足はしばらく使い物にならない。
 マーガレットはこの負傷をペルソナで回復する余裕など与えてくれる相手では無い。
同じ力を持つ者同士ではあるが、双方の実力には明確な開きがある。
 
 ……それが何だ、とエリザベスは思った。

「……これで分かったでしょう。貴女では私に勝てない」

 幼子に道理を噛んで含めるように、マーガレットは妹に語り掛ける。

「私も貴女も、ベルベットルームに集う者は皆自らを探求し続ける定め。"力の管理者"たる私達にとって、自らを上回る強者との出会いこそが答えであり真理でしょう?」

 おろし金と化した大地で擦った肌が焼けるように痛む。視界が揺れる。頭の奥で鐘が鳴っている。
 腕を組み、圧倒的強者として自分を見下ろす姉の姿が幾重にもブレて見えた。

「その答えである私が教えてあげるわ。貴女が進もうとしている道の先には何も無い。私にも勝てない貴女が、
あの部屋を出て一体何が出来るというの?」

 認めよう。姉は自分より強い。自分では彼女に勝つことは出来ない。
 これ迄の人生の中、姉と本気で手合せをしたことが無かったのは心の何処かでそれを悟っていたからだ。
全力で戦って敵わなかった時、答えが出てしまうことを恐れたからだ。

「部屋に戻りなさい。そして、新たな客人の来訪を待ちなさい。愚かな幻想を抱いて身を滅ぼすことなんてし
ないで」

 姉の声の響きに悲しみと確かな愛情を感じ、エリザベスは心中でありがとう、と呟いた。
 傍から見れば自分の行動は確かに馬鹿げている。「かもしれない」などという言葉を付け加える余地すら無い。
そういう自覚はある。それでも、立たなければならない。決して負ける訳にはいかない。

「いいえ」

 きっぱりと、エリザベスは言い切った。

「自分が何者かは、自分にしかわからないことでございます」

 だって、彼はそうしたからだ。勝てる筈の無い相手に立ち向かい、何度傷付き倒れても信じるものの為に立ち
上がり続けたからだ。彼を迎えに行く自分が同じことを出来なくて何とする。
 四肢に力を込める。痛い。全身に痛まない箇所など無い。結構だ。痛いうちはまだ生きている。
 震える腕と足。強い意思が張力となって四肢を内から支えた。よろめく。よろめきながら立った。
ずれた帽子をかぶり直す。大丈夫。戦える。彼は結局答えをくれなかったけれど、自分の中にある大切なものに気付かせてくれた。
今の自分にとってはそれが真実。それ以上の何を望むだろう。

「……変わったわね。私の知っている貴女はもう少し賢い女だったのだけれど」
「以前の私が賢く見えていたとすれば、それは己の全てを投げ打っても成し遂げたいことが見えていなかっただけのこと。今の私が愚かしく見えるというのなら、それは私にとって何よりの褒め言葉。私の想い人に、彼を想う者達の背中に、私が僅少なりとも近付けたということなのですから」

 白い肌からは血が吹き出し、土塗れの服はボロボロだ。
 勝ちを手繰り寄せる糸はその繊維一本すら指先に触れず、あるのはただ身体を動かす意思という糸のみ。
消耗は既に限界近く。ペルソナを召喚出来るのも後二回か、それとも一回か。だが、それでも。

「――姉さん、私は恋に堕ちました」

 口元から一筋の血を流し、それこそが我が人生最高の誉れにして幸福なりと微笑むエリザベスはひたすらに美しかった。
 相対するマーガレットが気圧される程に。

 そしてそれが、マーガレットらしからぬ隙を生み出した。

 後ろから弧を描いて飛来したカードが彼女の右腕に喰い込んだ。肉を斬り裂き、凶器が骨にまで到達した音が響いた。
 先程エリザベスの手から離れた、いや、彼女が投擲していたカードだ。
ペルソナカードはペルソナを召喚する道具ではあるが、それだけではない。それ自体十分武器として使用に耐えうる代物なのだ。

「……そう、あくまで言うことを聞くつもりはないということね」

 マーガレットが腕に喰い込んだカードに手をかざした。カードは一瞬で焼失。
 マーガレット、それと共に容赦という言葉を焼き捨てる。エリザベス、既にして死力を振り絞る覚悟を完了。
先の魔法など児戯に思える程の圧倒的にして凶悪な力が二つ、空間を塗り替えていくかのように高まっていく。
膨れ上がる力。この一撃の後に、どちらかが果つる。双方、同時に理解した。

 ――勝つ。そして、あの方の許へ。

「参ります」




 一瞬の後、地上に太陽が生まれた。


 
 



















「という別れ方だったらまだ良かったのだけれど」
「これだけ引っ張っといてまた作り話ですか。人の夢の中に入り込んできてまで嘘話するの止めて下さいよ」

 瀬多総司は脱力の余り椅子からずり落ちそうになった。悲しいジャアクフロストのお話とかそんな嘘話じゃあ断じてないもっと恐ろしい二番煎じの片鱗を味わった気分だ。
大体「まだ良かった」って何だ? 肉体言語で分かり合いたかったってこと? 何で姉妹揃って考え方がこうもマッチョなの?
個人的にはエリザベスの想い人だというその少年には何故か他人とは思えないものを感じるけども。
恋人選択肢と友人選択肢が無い分キツかっただろうな、という謎な思考が頭の片隅をよぎっていった。
 イザナギを倒し、仲間達と別れて街に帰って来てから一か月。まさかまた何か事件が、と緊張した自分が馬鹿に思えてくる。
 マーガレットさんは時折突拍子も無い行動を取るな、と呆れていた。

「……実際にはどんな別れ方だったんですか? その妹さんとは」
「別に面白いことはなかったわね。あの娘が出て行く少し前のことは話したわよね? あのすぐ後に主から呼び出しを受けて、仕事の引き継ぎを頼まれたわけ。まさか本当に出て行くとは思ってなかったから驚いたわ。全く、あの娘は姉を何だと思っているんだか」

 眉をしかめてワイングラスを傾けるマーガレット。宗司もそれに倣う。未成年故に彼のは果物ジュースだった。
 夢の中で飲酒したところで補導などされる筈はないが、マーガレットは意外とこういうところはきっちりしていた。
もしかしたら、つい最近まで家族同然に過ごしていた刑事の叔父に対して宗司が気兼ねを感じないよう気を遣ってくれたのかもしれない。

「でも、『エリザベスでも私をここ迄追い詰めたことは無いわ』とか言ってませんでしたか?」
「何回か手合わせをしたことはあるのよ。お互い戯れのようなものだったけれど。……あ、でもあの娘秘蔵のきなこ餅を食べてしまった時は少し危なかったわね。あの時のあの娘はかなり本気だった。その時の戦いに立ち会った悪魔絵師もピアノ弾きも歌い手も揃って出て行ってしまうし」

 立ち会ったって言うか一方的に巻き込まれたんじゃないか? 出て行ったって言うか命からがら逃げ出したんじゃないか? 
 知りたくも無い事実が判明しちゃったよ。
突っ込まない。あえて突っ込まないぞ。固く心に近い、宗司はマーガレットに向き直った。

「それで、今日は何の用なんですか? まさかこんなことを話すためだけに来たってわけでもないでしょう?」
「あら、用が無ければ会いに来てはいけないの?」

 思いの外寂しそうな声が返ってきて、宗司は思わずはっとした。
 ベルベットルームの鍵は、いつの間にか何処かへ行ってしまった。無くした覚えは一切無いのに。
多分あの部屋に行けるのは「その必要がある人間」だけなのだろう、と宗司は考えている。
特に論拠は無かったが、あの部屋の「客人」であったものの感覚としてそう捉えていた。
あの街を覆っていた謎の霧が晴らされたと今となっては、次にマーガレット会える機会はいつ訪れるかわからないというのに、ぞんざいな態度を取り過ぎた。宗司は後悔した。悲しげに伏せられた彼女の目を見ると、罪悪感がむくむくと湧き上がってくる。

「いえ、決してそんなことは」
「うっとうしい女だって思ってない?」
「マーガレットさんと会うのが嫌だなんていうことは絶対ありませんから。また会えて嬉しかったです。本当です」

 マーガレットは宗司の真意を確かめるかのように、彼の瞳の中をじっと覗き込んだ。
 薄暗いベルベットルームの中、切れ長の瞳の深い輝きが宗司を照らす。彼女はやがて小さく頷き、微笑んだ。
羽毛のようにふわりと浮いた唇の端がやけに印象的で、とくんと胸が高鳴った。

「この部屋であなたに会うのはこれが最後になるわ」

 笑みを崩さぬまま、マーガレットは至極あっさりと別れの言葉を口にした。
 あまりに自然な感じで出た言葉だったから、宗司がその意味を理解するのに少し時間が掛かった位だ。

「……もしかして、妹さんと同じようにあの部屋を出て行くつもりなんですか?」 
「流石に鋭いわね。ご明察よ」

 宗司の問いに、マーガレットはまたあっさりと答えた。
 中身が半分程残っているワイングラスを指で弄びながら、ベルベットルーム二代目の助手はあの時の言葉を歌うように重ねる。

「自分が何者であるかを探す者は、それを続ける限り何者でもない。それは空虚ではなく可能性。いかようにも自分で決められるということ。私も決めてみたくなったのよ。自分が何者であるか、何者になれるかをね」

 その報告をしに来ただけだったのに、あなたと過ごす時間があんまり楽しいからつい無駄な話をしてしまったわ、とマーガレットは苦笑した。宗司もつられて笑った。寂しさと切なさが心を締め付けているけども、新しい旅立ちを迎えた彼女を祝福したいという思いも本当だったから。
 出会いは別れの始まり。でも、離れたからって結んだ絆が途切れるわけじゃない。
 支えとなる絆がある限り、人はどこへでも行ける。どこにだって飛んでいける。
だから、さようならとは言わない。何時の日かまた会える日が来ることを信じているから。  
 身体の感覚がぼんやりとしてきた。目覚めが近い。ひとまずの別れの時が近いのだ。

「ありがとう、宗司。あなたの魂の輝きが永劫の果てまで曇りませんように」
「ありがとう、マーガレットさん。あなたに会えて良かった」

 互いに心からの祝福を交わし合い。やがて、全てが光に溶けていった。
 



























「ということがありましたよね?」
「そうね。あったわね」
「何でいるんですか? ここ教室なんですけど。そしてそこ教壇なんですけど」
「いえ、一度あなたの学び舎を見てみたくて。心の赴くままに振舞ってみるというのも真理に到達する一つの手段かと。……なるほど、確かにここに立つとつい教鞭を振るってみたくなるわね」
「ならないで下さい。お願いですから」
「第一問。ビフテキコロッケと肉ガム、牛肉を使ってないのはどちらでしょう? 正解者にはご褒美として肉ガムを。不正解者には罰としてミステリーフードを差し上げます」
「どっちもいりませんよ!」
  



 あとがき

  この姉妹の天然っぷりがたまりません。



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