私は檻の中の熊みたいに落ち着き無く部屋をうろうろしていた。
行くべきか。行かざるべきか。もちろん心情的には前者を選びたいわけだけど、昨日の今日で流石にはしたないと思われないだろうか。
いや、でも。あー、でも。
 倒れ込むようにソファへとダイブ。クッションに顔を埋めると、昨夜の熱の残滓のような吐息が自然と漏れ出た。
身体の芯がじんと痺れるように甘く疼いている。兄さんが悪いんですよ、と口に出して呟いてみる。
私の八つ当たりを受け止めるものはクッションだけだった。
 そう、喜ばせるにせよ悲しませるにせよ、私の心をこんなにも掻き乱すのは兄さんだけだ。子供の頃からずっと。


 子供の頃、私はまさに「身も世も無く」という形容がぴったりな位泣き喚いたことがある。兄と妹は結婚出来ないという事実を知った時だ。


 世間に「結婚」という制度があるのを知ったのはずっと小さな頃に天童グループの関係で結婚式に出席した時だった。
その時の私は結婚式どころか結婚がどういうものかも知らなかったし、興味も無かった。
それを表面に出さないだけの分別くらいはあったが、早く家に帰って兄さんと遊びたいなあなんてことを考えていたのだ。
 それが一変したのは「お嫁さん」の姿を見た時だ。
生まれて初めて見た純白のウェディングドレスに身を包んだ「お嫁さん」は、まるで絵本の中に出てくるお姫様のようにきらきらと輝いて美しく
見え、そのお姫様が目の前にいるというのが幼心に強烈な衝撃だった。
彼女の姿はあまりにも綺麗で、幸福そうで。私に結婚がどういうものかを百万言費やされるより雄弁に教えてくれたかに見えた。
私もああなりたい、と思ったのは自然の成り行きだったろう。そして、その時には兄さんに隣にいてほしいと思ったのも。
私は兄さんが好きだった。兄と妹としてではなく、真剣な意味で。昔から今に至るまでその気持ちが変わったことは無い。
だって、一緒にいてあれ程幸せな気持ちになれる人なんて兄さん以外にいないのだから。その日から私は度々結婚式の夢を見るようになった。
 そして、あれは何時のことだったか――幼い私は一大決心をして兄さんを自分の部屋に呼び出した。夢を夢のままで終わらせたく無かったのだ。
兄さんの好きなお菓子を用意して、その日の為に何度も練習したやり方で紅茶を淹れて兄さんをもてなした。
何も知らない兄さんは優しい笑顔を浮かべて「一花は紅茶を淹れるのが上手いな」なんて誉めてくれたものだった。
 決心したくせに核心に入るのが怖くて、私は他愛の無い話を引き伸ばしてばかりいた。無意味にカップの上にスプーンを泳がせる私を見て兄さんが
不思議そうにしていたのを今でも覚えている。
それでもやっぱり言わなくちゃ、と心臓が緊張で破裂しそうになりながらも私は遂に言ってしまったのだ。

『兄さんは、一花が大きくなったら一花とケッコンしてくれますか?』

 兄さんは、最初何を言われているのかわからないみたいだった。目をぱちくりさせ、その後照れたように笑って曖昧な言葉で誤魔化そうとしていた。
私は真剣な告白をそんな風にはぐらかされたのが腹立だしく、それ以上に悲しかった。
私が兄さんを好きで、兄さんは私を好き。それは間違いの無いことなのに、どうしてただ一言「うん」と言ってくれないのか、と。
私はつい責めるような口調で兄さんに返答を求め続けた。兄さんはそれでもなかなか答えようとはしてくれなかったけど、やがて困ったような笑顔で
こう言った。

『一花、兄妹は結婚出来ないんだよ』

 今度は私が呆然とする番だった。兄さんは私に嘘を付かない。けど、それは私の夢が絶対に叶わないということで。
それを他の誰でも無い兄さんの口から聞かされたことがただ信じられなかった。

『うそ』
『うそじゃないよ、お兄ちゃんとその妹は』
『うそ! そんなの……うそ、だもの……!』

 私は泣いた。泣き喚いた。廊下を歩いていた葉子が何事かと驚いて部屋に飛び込んできたのにも気付かず泣き続けた。
私の初恋は始まりから間違っていた。私には勝負の舞台に上がる資格すら無かった。
そのことが悲しくて悔しくて、私は涙が枯れるまで泣くしかなかったのだ。

 兄さんは優しい人だった。兄に恋する妹を異常者と蔑むこと無く、私が泣き止むまでずっと傍にいて頭を撫でてくれた。
 兄さんは温かい人だった。結婚出来なくても家族はずっと一緒にいられると私を慰めてくれた。
でもこの時兄さんは二つのことに気付かなかったのだ。一つ目は私の諦めが悪かったこと。当初の夢は確かに打ち砕かれてしまったが、だからといって
私は失恋したわけではなかった。失恋とは気持ちに終止符が打たれることだ。逆に言えば相手への想いが尽きない限りは失恋しないということでもある。
そして、私の兄さんへの気持ちは絶対に変わらない。何を諦めることがあるのだろう? 兄妹だって手を繋ぐことは出来る。
抱き締め合うことも。キスも、セックスだって。私が昨日兄さんとそうしたように。
身体の疼きに堪えかねて身じろぎすると、股に棒が刺さっているような違和感をおぼえた。私が兄さんのものになって、兄さんが私のものになった証。
その時のことを思い出して、私は一人顔を赤らめた。
 
 そして、忌々しい二つ目は。兄さんを想う女性が私一人だけでは無かったということだ。

 私はしっかり見ていた。あの時兄さんの後ろに控えていた葉子の表情を。最初はそれが何なのかわからなかった。それ以来何となく葉子の態度がつっ
けんどんだと感じることが多くなってはいたが、その理由までは気付かなかった。
でも、それとなく葉子を、いや、兄さんと一緒にいる時の葉子を観察する内に気付いたのだ。葉子も兄さんのことが好きなんだって。
鉄面皮・鋼仕立て・鉄壁無双……とにかくがちがちにお堅くて過剰な程腕っ節が強いくせに、兄さんの前では別人みたいにおとなしい葉子。
兄さんのちょっとした一言に慌てふためき真っ赤になって取り乱している葉子。
彼女は真剣なのだ。私に負けない位、真剣に兄さんを想っているのだ。そう悟った時から私達は互いに相容れぬ者同士となった。
 葉子には感謝している。子供の時から今まで、兄さんの危機を数え切れないくらい救ってくれたのだ。もしも葉子がいなかったら怪我だけじゃ済ま
なかった時だって何度もある。人間的にもどちらかと言えば好ましい部類に入るだろう。
しかし、それとこれとは話は別だ。兄さんのことだけは決して譲れない。大体あいつ護衛だからって兄さんにべったり過ぎるのよ。
私が止めなけりゃあいつ何回か犯罪やらかしてんじゃないの? ああ、今思い出しても腹が立つ! 子供の頃の兄さんをあんなにきつく抱き締めて
頬っぺたすりすりして! おまけに、あの女私の見間違いか被害妄想じゃなけりゃ兄さんの服を脱がせようとしていやがった! 
当然の処置として後頭部に飛び蹴りをかましてやりましたけどね! 
 でも、まあ。そんな闘いの日々ももうお終い。何しろ兄さんは私を抱いてくれたのだから。
仮に葉子が身の程知らずにも兄さんに迫ったとしても、兄さんは責任感のある人。きっぱりと断ってくれるに違いない。
そう、あれほど激しく私を求めてくれたのだから。
 
 ……やっぱり、駄目だ。

 私はソファから身を起こした。このままじゃ眠れそうにない。はしたない妹と思われてもいい。私はドアを開け、自室を後にした。

 


 あとがき

一花はまさに兄愛天賦。にちゃんねるの某スレに投稿したものを多少修正してアップ。



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