『……家族というのはいいもんだ。帰る場所があり、受け止めてくれる人がいるってのは心強いものよ』

 微笑みの内にも何処か物悲しさを感じさせる表情で、ジョセフは言った。
 ジョースター家は家族的に薄幸な家系である。
ジョセフの祖父ジョナサンは早くに母親を亡くしていたし、父親はDIOの手で殺害されてしまった。
ジョセフは父ジョージ・U世をDIOが作った屍生人によって殺害され、やむを得ない事情から母親であるエリザベスとは二十年近く離れ離れだった。 そして今、ジョセフにとっての娘であり、承太郎にとっての母親であるホリィの命は消えかかっている。
自分達がDIOを倒せなければ、確実に彼女の命は失われるのだ。
 ジョセフにとっての家族とは特別な意味を持つ言葉なのだろう、とヴィルヘルミナは想像した。
 霞がかかってしまうほど遠い記憶の向こう。母と父の姿はやはり判然としなかった。 自分は両親に愛されていたのだろうか?
 侍女に育てられ、両親と親子としての会話を交わす機会も禄に無かった人間だった頃の自分。
今となっては両親の心の内を知ることなど出来ないが、もし人間だった頃にそれを知ることが出来ていたら、この悩みも多少は軽いものになっていたのだろうか、と詮無いことを考えた。

『小さい頃のホリィはそりゃあもう可愛いかったよ。目の中に入れても痛くないってのはあーいうことを言うんだろうな。自分でも親バカとわかっちゃいたが、この娘より可愛い女の子がいるもんかって本気で思っとった。スージーQにはあまり甘やかし過ぎないで下さいって何度も怒られたよ』

 一指し指と中指の間にグラスの足を挟み、緩やかに回す。
 その中で波打っていたワインは、ジョセフがぴたりと手を止めると一際大きな波となり、グラスの縁まで上がった。
しかし、グラスからワインが零れ落ちることは無く、やがて水面は凪いでいった。

『小学校、中学校、高校、大学……あっという間だったな、あの娘が大きくなるのは。そんで、ある日とうとう来るものが来ちまった』

 眉間に皺を寄せ、渋い顔をするジョセフ。その時の気持ちを思い出しているらしかった。

『わしの家の居間にはテディベアが飾ってある。ホリィが生まれた時、オーダーメイドで作らせた奴だ。 重さはきっかり三千百グラム。あの娘の出生時の体重と同じ重さだ。その日、わしは暖炉の上でそのテディベアが色落ちしてるのを見て感慨にふけってた。あんなに小さかったあの娘が、ってな。そうしてると、玄関のドアを開けてホリィが帰って来たんだ。見知らぬ男を連れて』

 また、ワインを一口飲んだ。ヴィルヘルミナは黙ってジョセフの話を聞いていた。

『わしゃホリィに尋ねた。その男は誰だ、って。そいつの顔を見た時から嫌な予感はしていたんだが、やっぱりその通りだった。わしが尋ねるなりホリィは開口一番こう言ったんだ。この人と結婚します、ってな』

 そろそろ寿命が来ているらしい電灯が、ちかちかと短い点滅を繰り返した。
 黙々とワイングラスを磨いていたバーの主人が、顔を上げてそれを見ていた。

『スタンドも月までぶっ飛ぶ衝撃ってやつだ。しかも相手は日本人。それもジャズミュージシャンなんていうチャラチャラした仕事をしてるっていうじゃあないか。わしゃマイルス・デイビスもウエス・モンゴメリーも好きだが、それとこれとは話が別だ。結婚して日本に住むとまで聞いちゃ黙っちゃおれん。わしは猛反対した。 だが、いつも素直だったホリィがその件に関してだけは頑として譲らなかったんだ。
何日も何日も怒鳴りあって、それでもやっぱり考えを変えなかった。何故そこまで、と思ったよ』

 ――何故そこまで。

 ヴィルヘルミナはカウンターの上に乗せた手を握り締めた。
 彼女の中で、過去の思い出が泡のように浮かんでは消えていった。
フレイムヘイズとして戦いながら"紅世の王"を振り向かせるという、到底不可能に思えることを実際に行っていたマティルダ・サントメールとの出会い。共闘のきっかけと、自分の想い人が誰であるかを知られ、大喧嘩したこと。
戦いの場で彼と向き合った時は軽くあしらわれて逃げられた。会話を交わすことさえ出来なかった。
『万丈の仕手』の戦装束ではない、盛装した姿で目の前に立った意味を欠片も考えてもらえなかった。
マティルダの遺言に従い、彼と共に天道宮で『炎髪灼眼の討ち手』足る者を探し、鍛えてきた数百年間も同じだった。
ただの一度も彼が自分を見ることはなかった。

 ――だというのに、何故そこまで。

 自分でも理由など分からないのだ。一目見た時からただひたすらに想わされてきたのだ。
 "虹の翼"メリヒム。嫌な男だった。本当に嫌な男だった。自己中心的で、傲慢で、癇癪持ちで。
相手の気持ちなど一切構わず、自らの想いのままに突っ走る。全く、迷惑なこと甚だしい。
自分が言っても説得力が無いと思いつつも、[とむらいの鐘]の盟主の懐の深さには驚嘆の念を抱かずにはいられなかった。
 だが、それでも。
 決して裏切らず。脇目を振らず。後ろを振り向かず。強く、ただ強く一人の女を求め続ける彼の姿。
それが目に焼き付いて離れなかった。……腹立たしかった。それでも彼への想いを捨てることなど出来なかった。
何故そこまで、と問われても答えなど返しようが無い。
ヴィルヘルミナは昔、マティルダからこう聞かされたことがある。

『愛とか恋とかってのは、私とアラストールの場合みたいにどうしようもないものなんだから、成り行きに任せるしかない』

 どうしようもない。それが一番的確な答えだった。
 彼の娘も、かつてのヴィルヘルミナや今のあの娘と同じ気持ちを承太郎の父、空条貞夫に抱いたのだろう。
そして、その想いを貫き通した。だからこそ彼女は幸福だった。少なくとも、DIOが復活するまではそうだった。
ジョセフと共に初めて空条家を訪れた時の彼女のおっとりした微笑みを思えば、彼女が幸福な生活を送っていたことは誰でもわかることなのだから。しかし。

『……それで、最終的にはお嬢様の選択をお認めになったのでありますか』

 ヴィルヘルミナはやや性急に話の結末を先取りした。
 不躾ともとれる態度に、ジョセフは普段の彼女らしからぬものを感じたのか、少し驚いているように見えた。
彼女は、ジョセフの言わんとしていることを感じたのだ。感じていて、その無責任さに怒りを覚えた。
強張った薄い唇から、じんわりと憤りが滲んだ言葉を吐く。

『成る程。お話を聞けば、確かにお嬢様はご自身の意志を貫き、自らの選択によって幸福を手にしたようであります。 ですが、お嬢様とあの方では立場も背負っているものもまるで違うのであります』

 今度こそ誤魔化しようも無く失礼だとわかっていて敢えて、ヴィルヘルミナは差別的な言い方をした。
 成り行きに任せていて取り返しの付かない傷を負うことになったらどうするのか。
破綻が目に見えているのに止めるなとはあまりに無責任ではないのか。
そんな想いがヴィルヘルミナに頑なな態度を取らせていた。



あとがき

 久し振りに更新。ヴィルヘルミナの頑固さと一途さが好きです。



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